行ってきました♪

こんばんわ 70です

すっかり春になって、あちらこちらで桜の開花ニュースを聞きますが、
筑波山もついに開花しましたよ

写真がなくてごめんなさい(。ノω\。)

筑波参道の桜がちらほら咲きだしました
これから筑波山に来られる皆様、是非を楽しみにお越しくださいませ((´∀`))


さてさて、先日行ってきましたよ
茨城県立歴史館で展示されておりました、『筑波山~神と仏の御座す山~』

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筑波山ってふか~いとしみじみ思っちゃいました
わたしには少々難しい内容でしたが(笑)、ぜ~んぶ見終わると1時間半も経過していましたΣ(゚д゚|||)
かなり集中して見入っていたようです

筑波山の歴史は本当に古く、深く、一度ではとても覚えきれない程でした


筑波山は「西の富士、東の筑波」として富士山と並び称されるほどの山容を持っており、古くから筑波山に対する信仰が確立していったとされている。

延暦元年(782年)に法相宗の僧・徳一により筑波山知足院中禅寺が開かれたことから神仏習合がなされ、筑波山は修験道の道場ともなった。

平安時代中期の『延喜式神名帳』では「常陸国筑波郡 筑波山神社二座」と記載されて式内社に列し、このうち筑波男大神が名神大社、筑波女大神が小社とされた。

中世には、筑波山は付近の豪族・小田氏の支配下にあった。

江戸時代に入ると、慶長7年(1602年)徳川家康により500石が寄進され、寛永10年(1633年)徳川家光により社殿が寄進された。ただし、それら幕府による保護対象は専ら知足院中禅寺であり、筑波山は仏教中心の霊地であった[1]。現在の末社である春日神社・日枝神社・厳島神社は、幕府による仏教政策の一環として中禅寺境内に付属されたものである[1]。元禄8年(1695年)、知足院は護持院と改称した。
-Wikipediaより-

言葉では言い表せないので、Wikipediaさんのお力をお借りしましたが、こ~んな内容の事がもっと細かく展示されていて、理解しながら読むのに一苦労でした(-∀-`; )

でも、本当に勉強になり、行ってみてよかったと思いました

これを機に、歴史館や美術館などへもっともっと行ってみようかなと思います


最後に、今日は親方や調理場のスタッフが玄関脇の池掃除をしてくれました

親方に呼ばれて行ってみると・・・

koi.jpg
鯉の稚魚です 小さいですね~
全部で30匹いましたよ
みんな無事に大きくなってくれるといいな~(*´v`*)

もっと暖かくなるのが待ち遠しいですね


春はお出かけシーズンです
桜が満開になる筑波山へ是非遊びにいらして下さいね


カチッっ♪といただく皆さまからの応援に 心から感謝いたします☆

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