minaです + MAKです 合同で投稿します
今日は悲しいお話ですが、
江戸屋にとって、語らずにはいられない方を亡くしたことを記したいとおもいます。
良さんはその生涯のほとんどをを江戸屋にささげてくれたひとでした。
正確な入社は分かりません。でも良さんが20歳くらいの頃だったと言いますから
昭和24年頃でしょう。現会長が小学生のときだったと言います。
現会長の祖父、8代目 吉岡 謙吉の代から江戸屋を知る唯一のひとです。
その良さんが平成22年10月29日亡くなりました。
すい臓がんだったそうです。
私たちに心配をかけるとおもったのか、
病気の事は何にも知らされていませんでした。
あまりにも突然のお知らせで、みんな信じられませんでした。
それでも入院はせずに、最後まで寝込むことなく急逝した、
と聞いて「良さんらしいね」と話しました。
良さんは平成20年の 5月まで現役で働いていました。
78歳まで現役だったということになります。
毎朝5時出社で、ボイラーを守ってくれていたのです。
今どこの施設でも自動で温度調節できる装置が設定されているかと思いますが、
江戸屋ではいまだに旧式の機械を使用しているため、
気温や、当日の入込状況によって微妙に設定を変えなければいけません。
背が高くてがっちりした体格で顔もちょっと怖いし、
多くを語らないけど、心の優しい人柄がにじみ出ているような人でした。
とにかく手先が器用で、力持ちで、アイディアの豊富な人で、
几帳面で、何事も適当にやるのが嫌いな人でした。
良さんのやった仕事は本当にすべて整っていて
草刈りなんてプロ中のプロ。
唯一毛虫が苦手だったな、なんて思いだします。
ドアやトイレが壊れても、壁に穴があいても、
良さんがいるときには専門業者さんを呼ぶ前に良さんに相談すると
だいたい治してくれました。
会長も親方も、みんな良さんを信頼し、尊敬していました。

【いちばん左が良さんです】
激動の時代を江戸屋とともに歩んで約60年。
私たちはそのほんの一部しか知りません。
でも良さんはまさにプロフェッショナルでした。
仕事とは何か、責任とは何か、奉仕とは何か、
何のために、誰のために、きっと、しっかりと見えていた人でした。
多くを語らない良さんが後ろ姿で見せてくれていたことは
本当に貴重な宝だと思います。
私たちは教えていただいたことを守り、また次の世代に伝えていく
義務と責任があると思います。
私たちは良さんの足元にも及びませんが、その思いを胸に
追いつけるようしっかりと歩んでいきたいと思います。
良さん、本当にお疲れさまでした。
そして本当にありがとうございました。
ゆっくり休んでくださいね。